今日は1年ちょっとで脱OLできた理由や私が理念や信念と
しているところをお伝えします。
私は2018年12月にネットを使った物販に出会い、
現在は毎月30〜60万円ほどの
収入を得ることができています。
たった1年くらいで人生が激変したんです・・・
思い切って物販ビジネスの世界に飛び込んで・・
累計1年半で得た売上は総額1200万円以上、
在庫総額も600万円くらいあります。
・関西の田舎に住みながら
ネットで毎月30〜60万円以上の収入があり
・物販での平均利益率が20〜30%と言われる中、
50%以上の利益率があり、
・元会社員ですが、今では労働に縛られることなく、
・平日の好きな時間に暇な友人とカフェでお茶したり、
旅行しにいく
という生活を送っています。
こんな風に書くと
あなたはビジネスのセンスがあったから
このような結果を出すことができたんでしょ?
なんて思われるかもしれません。
私はビジネスの意味すらよく解りませんでしたし、
ビジネスの成功者はビルゲイツみたいな天才だけ、
というふうに思い込んでいる人間でした。
今でも友達や家族にはネットビジネスで
私が毎月収入を得ていることに驚かれたりします。
「どうやってそんなに稼いでいるの!?教えて欲しい!」
そんなふうに言われるようにもなりました。
昔から会社経営しているような知人からも
「空いている時間にやってみたいから教えてよー!!」
なんて声をかけられるようになりました。
でも会う人からは「ビジネスしてるように全然見えないね。」
初対面の人には必ずと言っていいほど言われるセリフです。
昔から話すのが苦手。いつも意見が言えない。
幼い頃からいつもぼーっとしてるよね。
って言われてきました。
ボーッとしてるから話すのも下手で、
話したいことがまとまらずいつも黙っていたから、
大人しいねと言われていました。
小学生の頃、運営委員会に友達に誘われて入っていたけど、
全員自分の意見を言えるのに私だけ黙って
会議が終了したのを今でも覚えています。
学生時代から話下手で何人かと会う時はいつも黙っていて
本当はもっと意見言いたいのに
言いたいこと言えないままその日は終了してしまう、
なんてことがよくありました。
大学時代に女子ばかりで旅行にいこうとなった時も、
あんまり行きたくない場所でも
発言権が大きい子がここ行きたい!って言うと、
何も意見言えず旅行先が決まってしまう。
なんだかいつも本当に楽しいと思えず満たされないと言うか、
でもどうやったら自分の意見が言えるのか
会話が上手くなるのか、わからない。
[st-kaiwa2r ]いまだに迷子になるし、よく電車乗り間違えるよね[/st-kaiwa2]
無思考で会話下手、
自分が主張できないまま学生時代を過ごし、
社会人となってからはそのことが仇になってか、
より厳しい立場に立たされるようになりました。
仕事がとにかくできない。どこに言っても文句言われる。
まず大学卒業後、新卒で勤めた病院の事務は
3ヶ月の試用期間でいきなり雇い止めになりました。
単純な事務作業のはずなのに
全然うまくできなかったのです。
人事課に在籍してたと思いますが、
保険料などのお給料計算ができず、
何時間もてこずったことから
機械で処理できなくなり、
その場にいた全員の社員に
手書きでの処理を手伝ってもらう、
結果全員サービス残業になってしまう
といういうことがありました。
同時に入社した同期の子は仕事をきちんと理解していて
一緒にサービス残業で手伝ってもらう
という情けない思いも経験しました。
電話応対も最悪でした。
電話にボタンがたくさんついていて、
どこを押せば院長室につながるかが覚えられない。
メモを書いても忘れるし、
メモを書いたのかも思い出せない。
ストレスも加わって記憶力はかなり落ちていました。
そのせいで隣接の院長室に呼び出されて
怒鳴られるなんてこともしばしば。
毎日職場に行くのが嫌で嫌でたまりませんでした。
次に入社した大学の秘書業務でも、
仕事振りを怪しまれるくらい何もできませんでした。
お昼をたまたま一緒に食べていた大学の先生から、
僕だったら君を雇うなんてことは絶対しないな、
って本音言われたり、
間違って採用されてしまった営業の仕事では、
面接ではできそうに見えたけど、
営業全然だめねって言われたり、
派遣先から紹介された弁護士事務所では、
事務の先輩や弁護士から、
なんでこんな誰でもできることが
できないのってキレられる、
こうしてかれこれ、新卒で働き出して
約10年間で8回転職しました。
友達に会うたびに、
仕事ってどうやったらできるようになるの?
どうやって続けてるの?
と秘訣を聞いたりしては、
そんなん誰でもできるし、
みんな普通にやってるよって
不思議がられていました。
どうしてみんな普通に会社員がやれるんだろう?
会社員になるのって特殊な才能がいるのかな?
なんて思ってました。
でも仕事というものから逃げ出したい
という気持ちは不思議とありませんでした。
なんとかして自分の力で稼ぎたい
という思いは常にありました。
それはもしかしたら母が
専業主婦だったからかもしれません。
1日家にいて家族以外誰とも関わらない毎日、昼寝したり、
テレビ見たり、お風呂洗ったり、
何の生産性のない毎日に
何の意味が見出せるのか分かりませんでした。
もし自分がそんな毎日を過ごすかと思うと、
ゾッとする思いです。
かと言ってできる仕事が思いつかない。
社会でどう考えても使える人間ではない。
はっきり言って自分でも自分の仕事ぶりが怖かったです。
常に間違ってるんじゃないか、
誰かの迷惑になってるんじゃないか。
私が仕事した後をいつも誰かに
チェックしてほしいくらいでした。
友達に少ないお給料を話すのも
あまり快いものではありませんでした。
なのでいつもぼやかしたりして、
曖昧に話してました。
仕事ができなくてもお金が稼げるようになった。インターネットの威力。
そんな仕事できない人間の私が
インターネットによる物販ビジネスで
劇的に変わることができたのです。
かつて私がビジネスはビルゲイツみたいな
天才だけができるものと思っていたように、
多くの人はビジネスにはセンスや才能が
必要だと思っていることでしょう。
でもビジネス、とりわけ物販ビジネスには
センスや才能は必要ありません。
仕事ができない私からしたらはっきりいって
会社員の仕事の方がよほど難しいし、
センスが必要だと思っています。
このような始めた時は何の能力もなかった私ですら、
10万円ほどの利益をいつの間にか
達成することができていました。
もちろん初めからスムーズに
進んだわけではありません。
始めてから一年ほどは売り上げが安定せず、
間違った商品を仕入れてしまったのではないか、
今月のクレジットカード払えるのだろうか、
もう売れないんじゃないか、
など不安になることもありました。
物販なんか始めない方がよかったのかも・・
と弱気になることもありました。
どうやったら安定して売れるのか、
試行錯誤を続けて行くうちに
この方法なら上手く行くのではないか、
ということが段々分かるようになってきました。
その方法とは書き出すと長くなってしまうので
こちらでは省略します。
また別の記事にでも記載しようと思います。
そうして何度も工夫を重ねて実践して行った結果、
・朝起きたら20万円以上の商品が売れてる。
・ひと月に40件以上購入されて月商で130万円以上の売り上げがあがる。
・ビジネス初心者にコンサルして短期間で成果を出させる
・仕入れて売っているだけなのにリピーターさんに毎回感謝される
・OL時代では決して言われることがあり得なかった、あなたは優秀だね、
という褒め言葉を何回も言われるようになる。
初めて優秀という言葉を自分に向かって使われた時、
一瞬耳を疑いました。
一生のうちでそんな言葉を自分が言われることがあるんだ・・
しかも言ってくれた人がビジネスやエンジニアの分野で
かなり優秀な人だったのです。
このようなことから、
以前まで全くお金を自力で稼ぐことができず、
いつも自信がなくオドオドしていた自分から、
人にビジネスのコンサルできるくらいまで
自信を持った人間に変わることができたのです。
友人に収入を話すと、
本当にネットでちゃんと稼げる人って存在するんだ
ってびっくりされます。
こんなことありえるの?と思われるかもしれません。
そんな話し聞いたことない、
と怪しまれるかもしれません。
私も初め会社の仕事すらまともにできない
ビジネスのド素人がネットで
月収数十万も稼げるなんて
あり得ないと思っていました。
でもそれは世界が狭すぎたからです。
無知すぎて何も知らなかったのです。
この世界を知ってからは私にとっては
当たり前の世界になりました。
そのことを理解していただいて
ブログをお読みいただければと思います。
【ブログ理念】ビジネスにセンスはいらない。ネットビジネスが人生を変えるきっかけだった。
このサイトの理念は、
ビジネスにセンスはいらない、
ネットビジネスなら人生を変えれる。
という考えをもとに運営しています。
私はこのサイトを通して、
生き方って一つじゃないんだよ、
選択肢ってたくさんあるんだよ、
もっと自由に生きていいんだよ、
ってことを伝えたい。と思っています。
私は学生時代のアルバイトすらろくにできず、
新卒で入社一社めから挫折して、
その後も失敗の連続。
語彙力なさすぎて、
本当は高卒なんじゃないの?
なんて真顔で聞かれたこともあります。
あの子には仕事任せられない、
って言われたこともあります。
言われた時、顔がぱっと熱くなりました。
周りに聞かれたのも恥ずかしくて、
でもできないってわかり切ってたから
黙ってるしかなかった。
仕事ができる人は私と違う
別の世界にいるんだと思っていました。
学生時代は元気だったのに、
社会人になるとすごく疲れやすくなりました。
朝がだるくてだるくて、
会社行ったら潰れてたらいいのに、
と本気で思うこともありました。
ストレスのせいか、
寝ても寝ても眠くて日中も眠気が襲ってくることも。
土日は出かけずに、
家で寝ていることもありました。
日曜日の夜は特に憂鬱で、
月曜日の出勤を考えただけで
気分が暗く沈んでいました。
周りの友人たちはどちらかと言えば、
むしろ会社員となって
人生を謳歌してるようにさえ見えました。
お給料とか福利厚生がいいとか、
同僚で飲みにいくのが楽しいとか、
東京駅近のビルにオフィスがあるとか。
私からしたら仕事に行くことさえ辛いのに、
なんでそんなに楽しめるのか
理解ができませんでした。
仕事終わりなんて疲れてフラフラしてるのに。
どこか行くなんて気力も残ってない。
混雑した電車に揺られて憂鬱な顔で帰るだけ。
以前弁護士事務所に勤めていた時、
資料を作成するのに先輩に
手伝ってもらっていたことがありますが、
私のせいで内容が間違っていたことがあり、
そのことに気づいた時、どうしよう、
自分の不注意で先輩に迷惑をかけてしまった、
申し訳なさすぎる気持ちが込み上げてきて
泣き出してしまいました。
人前で泣くのは嫌いなので、
それまで人前で仕事が辛いからと
泣いたことは一度もありません。
でもその時はあまりの自分の無能さが辛くて
涙がボロボロ出ました。
先輩の半日を無駄にしてしまったのです。
先輩に何度謝っても、もう私はだめなんだ、
何もできないんだと絶望的な気分になりました。
また転職するの?
そう友人に聞かれるたびにドキっとして、
曖昧にごまかしていました。
私別に仕事に興味ないから、
そんなに頑張りたいと思ってない。
なんて強がってました。
ルールに縛られるのは昔から苦手。
思えば、昔から会社員は性格に合わないと
思うようなところはありました。
大学生の時、参加した海外研修でのこと。
持ち物リストの一番上にあったのが「スーツ」でした。
私はスーツが好きではありませんでした。
黒ずくめで窮屈だし、見るだけで着たくないな〜
と思っていました。
だからリストに必ず持ってくるものに入っていましたが、
海外にまで持っていくなんてあり得ない、
と思って誰にも相談せず持っていきませんでした。
当日現地についてから私だけ私服を着ていて
他の子にびっくりされたし、笑われました。
え??大丈夫?先生に怒られない?
今思うと若気の至りでしたが、
あの時を振り返ってもどうしてもできなかったと思うし、
縛りというものに対する抗う気持ちは少なからずありました。
どちらかといえばルールに縛られるのが苦手で、
自由に振る舞いたいと思っていました。
だから通勤のために同じ時間に同じ電車に乗って、
同じ机に座って、同じメンバーとお昼ご飯食べて、
とかそういう全てがルール化されている
会社生活の毎日というのは
自分にとって何か居心地悪くて、
どうしても苦しいものでした。
色々我慢してる感じがしてました
1社目から仕事できない現実を突きつけられて、
その後もうまくいかず転々として、
次の新しいところでは流石にうまくやれるでしょ、
と毎回希望を持って転職しては
またできない壁にぶつかる、の繰り返し。
なんでみんなのように仕事ができないのか?
という疑問はいつも頭をぐるぐる巡っていました。
自分と人は何が違うのか、自分の何が変なのか、
その問いはいつも自分の中から消えませんでした。
友人に相談していっときの不安から
免れることはできましたが、
この悩みは自分の周りの次元とは
違う人間に答えをもらわないと
一生解決できないと思っていました。
周りにいる知ってる誰かに聞いても
納得いく答えをもらえるように
思えなかったのです。
だってみんな普通に生きれてるし。
こんな変な悩みで悩んでるのは自分だけだろう。
自分はなんか欠陥があるのかも。
辛いし、悔しいけど、でもどうしても知りたい。
だからその答えはいつも本屋さんで
探すようにしていました。
本の著者は一冊の本を書けるくらい見識が深いから、
きっと自分の知らない答えを持ってるだろう。
本屋さんはまるで自分探しの旅でした。
本棚の前に立って心理学とかビジネスとか
芸術とか美容とか小説とかジャンル関係なく
平積みの本をかたっぱしからめくっていました。
その日の自分の気持ちを
落ち着かせてくれる言葉が見つかるまでは
帰らない、そう決めてずっと本屋さんに入り浸っていました。
いつも言葉に助けられて生きている、
といった感じでした。
きっかけは一冊の本だった。私の人生が好転したきっかけ。
ある日本屋さんのお気に入りの
コーナーで新書を見つけました。
本屋さんに頻繁に行っていたので、
新書が出たらすぐに見分けが
つくようになってたのです。
その日見つけた新書はオンライン物販の本でした。
安く仕入れて高く売るというもの。
え、それだけでいいの?
これなら私にもできる。
直感でそう思いました。
会社の仕事よりよっぽど簡単じゃないか。
本当にこれだけで利益出せるようになるのかな?
なかば半信半疑になりながら、
でも新しく知ってしまった情報に
少なからず希望を感じながら、
これってもしかして、、
何か変わるかもしれない、
というようなわずかな望みは読み進めるごとに
徐々に強くなっていきました。
その日は一旦帰宅して、
別の日にまた本屋さんにやってきて、
買わないと何も進まないと思い、
その本を購入しました。
自宅に戻るとすぐに読み切ってしまって、
写真に乗っていた商品を実際仕入れて
売ってみることにしました。
こういう試してみたいと思ったら
すぐ動くのはクセでした。
アカウントを立ち上げたり、
カードを登録するのは面倒でしたが、
でもやってみたい、やってみた結果を見たい、
という気持ちはとても強かった。
いざ海外限定のステッカーを
仕入れて売ってみました。
それまで不用品を売っていた経験があったので、
そのステッカーがいかに反応がいいかが
手にとるようにわかりました。
数週間後には千円くらいの利益を
出して売ることができました。
その時は嬉しいというか、
やっぱり簡単にできるということを
確認したという感じでした。
その後も少し価格帯が高めのものに挑戦して
また数週間して利益を出して売ることができました。
なんか、これすごく簡単。
会社員の時はすごく苦労して
月に一回十数万円のお給料を
なんとかもらっていたのに、
この物販とは一瞬で数万円を
売り上げることができるのです。
価値観がどんどん変わっていきました。
これならもっと勉強したら
うまくやっていけるんじゃないか。
そこからはもっと勉強したり、
どんどんリサーチして商品を知ったり
ビジネスを学んだりすることから始まりました。
そして約一年後には安定して
売り上げをあげれるようになっていました。
昔から理想としていたこと。
思えば昔から、
いつも仕事は自分で全て決定できたらいいのに・・
と思うところがありました。
自分で決定できたらうまくいくのに。
会社を建てる場所から使う文具メーカーから
全て自分に決定権があればいいのに。
そしたら全てうまくいく。
何の根拠もなく試したこともないのに、
成功体験もないのに、経営者になりたいとか
起業したいとか思ったこともないのに、
漠然とそういう思いは昔から感じていました。
誰かが決定したものじゃなくて自分が決定したい。
物販での学びはこの思いに通じるものがありました。
商品のリサーチする。
仕入れる。
お客さんや仕入れ先とやりとりする。
発送する。
始めから終わりの過程が全て
自分が考えて決定して動くからこそ成り立つものでした。
このお金の稼ぎ方は私にあってるかもしれない。
初めてお金を稼げるということに
希望を見出すことができました。
もちろんはじめからずっとスムーズに
いったわけではありません。
仕入れたものが偽物っぽかったり、
なかなか届かなかったり、破損してたり、
仕入れたい商品が全然見つからなかったり。
なかなか売れないと不安になったり、
苛立ったり。
一生売れなかったらどうしよう
と思う時もありました。
文章なんてはじめ一行も書けませんでした。
書けない…と思った時せっかく見つけた稼ぎ方だけど、
もう諦めるしかない、と絶望しかけたこともありました。
誰でもできることが私にはできなかったんです。
お金を稼ぐだけじゃなかった。性格もポジティブに。
不安があったと言っても会社員時代のような、
この決められた生活が毎日続くのかなというようなという
漠然と永遠に続くような不安ではなく、
ビジネスでは自分が学べば不安を解消することができたし、
昨日の自分より今日の自分は成長していて、
振り返っても不安な時さえ
楽しかったのだと思えるようになりました。
会社員時代の、いつ仕事終わりの時間くるかな、
お給料日まで遠いな、また怒られたら嫌だな、
月曜日嫌だな、というネガティブな気持ちたちも
すでに記憶が遠くなりつつあります。
どこの会社に行っても誰かの足を引っ張る、
覚えられない、クビになる、仕事が遅い、
という何の取り柄もなかった私が、
ネット物販によって、
会社員時代の何倍にもなる収入を
毎月得れるようになったのです。
どうやったらお客さんの反応良くなるかな。
工夫することも改善を繰り返すことも
自分で考えることも習慣となり、
お休みの日とか関係なく目にしたもの、
耳で聞いたもの、自分に取り入れる場合には
どうしたらいいだろう?
常に良くしていこうという
思考を保てるようになりました。
毎日勉強していても、
ただ遊んでいるときより楽しいくらいです。
気付いたら仕事嫌いな私が
仕事好きな人間に変わっていました。
ビジネス始める前なんてAmazonてなんでも売ってるんだったら、
頭良くなる薬売ってないかな?って
本気で思ってたことさえあるんです。
だから仕事ができなくて、
勉強できなくて、
どうしたらいいのか分からない、
何もできなくて困っているあなたにも、
希望を感じて欲しくてこのサイトを運営しています。
能力がなくても、落ちこぼれていても、
きちんと学んで実践しさえすれば結果がついてくる
ということを私自身が身をもって体感したからです。
しかもネットというほぼお金のかからない媒体を使っているので
物販するにしろ、情報発信するにしろ、
リスクがないに等しいです。
私はインターネットの物販を通して
お金を稼ぐことだけではなく、
不器用すぎる生き方が
どうしたら改善されるのか?
自分の中の何がよりよく生きていく上での
妨げとなっていたのか?
と言ったことにも目を向け、
改善していくことができるようになりました。
それはお金と同様に自分の人生を
向上させる大きな役割となってくれました。
このサイトを通じてダメな私が変われたように
あなたの人生が向上する手助けとなればと思い、
発信しています。
そして今の私自身だけでなく、
過去の私についても知っていただければ
よりブログの内容が理解していただけると思うので、
ここから過去のプロフィールについても
お読みいただければと思います。
以下から過去の私の話にさかのぼります。
小学、中学生の時はひたすらおとなしい無口な子だった
幼少の頃といえば、とにかく大人しい子供でした。
集団の輪の中にいて全然発言ができず、
親戚の集まりの時でさえ、
借りてきた猫みたいね、って言われていました。
話すのが苦手、考えをまとめるのが苦手、
周りにいる子たちがみんなとても賢く思えていました。
大勢が集まると一言も話せず、
意見が言えた記憶もほとんどありません。
絵を書くのが好きだったから、
絵描きさんになりたいな、なんて思ってました。
小学校の授業では先生に当てられないように
常に下を見ているし、きちんと発言している子を見て
私には絶対に真似できないと心底思ってました。
スポーツはできたから一見活発っぽく見られてた
大人しかったですが、そこそこ運動神経が良く、
また体を動かすことが好きだったことから
よく休み時間はバレーやサッカーをしていたので、
側の人から見たらそんなにおとなしいイメージは
なかったかもしれません。
なぜか所属していたバレーボール部の
キャプテンに選抜されてしまい、
試合や練習の時は私が発言をしないので
ほとんど副キャプテンがみんなを先導したり、
コーチの指示をみんなに伝える
という事態になっていました。
ライベルの試合での動きを先輩たちが
ホワイトボードに磁石のコマを置いたり、
マーカーで書いているのを見て、
ボーッとしながら、先輩たちの話難しくて
何が何だかよくわからないな・・なんて思ってました。
他のメンバーは説明を聞いたらすぐ動けるのに、
自分だけいつも取り残されていました。
何回も聞かないとよく分からない・・
なんでみんなすぐに分かるんだろう
勉強に関しても小4くらいまでは
算数とかまあまあできていたのに、
視力がどんどん悪くなるにつれて、
成績も比例して下がっていき、
できの悪い生徒になってしまいました。
前は2.0くらいあった視力が
どんどんぼやけていって黒板の字が見えなくて、
どうしようどうしようと恐怖を感じていましたが、
でも親にも誰にもいえず黙っていました。
ピアノを習っていましたが、
前は見えていた譜面が次第に見えにくくなり、
すぐそこに楽譜があるのに
目を細めてみるようになっていました。
新しい曲を弾くのが毎回楽しみだったのに、
音符が見えずらく、そのせいか
徐々にテンションが落ちてきて
結果弾くのが下手になってしまった気がします。
女子の話題についていけず、眺めていることしかできなかった
家ではクラシック音楽のような古典的な音楽を
聞いたりすることを良しとされている風潮があったため、
テレビで流れているような曲を聴くことがなく、
学校での話題はいつもついていけませんでした。
芸能人っていったいなんだろう?
アイドルってなんだろう?
きゃあきゃあ騒いでいる集団に入れず、
ポツンと黙って見ているだけでした。
たまに行く本屋さんでアイドルが載っている雑誌を見つけて、
これのことかな?と思ったりしてました。
成績のいい子たちはちょっとしたグループになっていて、
いつもテストの点数を公表しあっていました。
賢い子たちは違うな。
テストの話なんて絶対したくない。
とてもあの輪には入れない・・
遠巻きに彼らを見つめながら恐れていました。
中学の担任の先生に言われて初めて焦った
中学に入っても相変わらず
同じような調子でした。
友達はまあまあいて、成績は悪いけど、
部活ではちょっと活躍できる、
そんな感じでした。
変化があったのは中三になる前の進路相談の時です。
これじゃあいける高校がありませんよ
そう担任の先生に言われて、
初めて自分がかなり危ない状況に
いることを悟ったのです。
中1から学習塾に通い、
某大手通信教育を同時に受けながらも
(といってもクローゼットの中に
積み上げていただけでしたが)
成績は最底辺だったのです。
危機を感じてから特に大事だと思った
英語と数学を猛勉強しました。
英語も数学も中一からのやり直しで、
やることはかなり多い状況でしたが、
勉強自体はやればやるほど楽しく感じていました。
挫折してしまった高校時代。変えたかった環境。
そんな感じで高校を受験すると
第一志望には落ちたけど、
第二志望の私立高校の
特進クラスに入ることができました。
確か数学は満点だったと思います。
ただ今思うと勉強ができるようになっていたのではなく、
受験のテクニックを覚えていたので
私立高校の入試については解きやすくなっていたのです。
基礎が身についていなくて、
表面だけはできるように見せかけた
中身のないものでした。
世の中はみんな学歴至上主義だと思ってた。
入学すると特進クラスにいたためか
先生や学校も偏差値の高い大学に行くことが
この世のすべてといった
価値観で支配されていました。
他のクラスメイトもそうで
県内トップ校を落ちた人も多く
国立大学や医学部を狙う人も結構いました。
受験に特化するため部活動は原則禁止されていました。
私の周りや親戚も高学歴が多く、
旧帝大出身で某大手企業の役員や開業医、教授であったり、
そうであるのがこの世の中の当然で
当たり前のような雰囲気がありました。
だから私自身、世の中の人たちもみんなそう思ってると思っていました。
一年生の時は勉強を詰め込まれながらも、
また予備校にも通いながら、
友達とカラオケや映画に行ったり、
また紹介された人と付き合ってみたりと
月並みなことをして過ごしていました。
孤立して何も楽しめなくなってしまった
2年になり、
特進クラス理数科の選抜試験を受験して、
合格しました。
自分の希望で理系に行きたいというより、
理系の国立大学に行くことが
世の中的に正しいとかかっこいいとか
思い込んでいたのです。
合格した時は嬉しさもありましたが、
受かるだろうな〜、先生に期待されてるよな〜
とか思っていました。
特進クラスの扱いは普通クラスとは別格で、掃除の時間がなく、
課外活動は真面目な勉強系のことしかしない、
教室の場所は特進の文系と理系だけ長い廊下の奥にあって、
他の生徒からもあそこは秀才ぞろいのクラスだ、
みたいな目で見られていました。
理数科だから毎日の授業は
理系科目で埋め尽くされていました。
物理と化学についてはかなりの苦手意識があり、
次第に遅れをとるようになってしまいました。
それに加えてクラスの雰囲気に馴染めない、
といったところがありました。
誰とも合わないし、正直しんどい
一年生の時の特進の仲のいい子たちが
皆んな二年次の選抜テストに落ちてしまったのです。
仲のいい子がいなくて、
他のクラスまで休み時間は行くようにしていましたが、
廊下が長くて10分の短い休み時間で行き来するのが大変でした
今思うと、クラスの子と仲良くなれるように
コミュニケーションを取ろうと努力すれば良かったのに、
その努力の仕方が分からず、思考停止の状態で
頑なに仲良くなれないんだと
思い込んでしまっていました。
他のクラスに行くけど、
自分のクラスに仲良い子いないのかな?とか
内心思われてたら嫌だなと思うこともありました。
楽しんでる人に憧れる。違う世界に行きたいと思っていた。
物理の授業はちんぷんかんぷんで
仲のいい子がいなくて、
教室移動一人でするのが寂しくて、
時々仮病を使って保健室に行くようになり、
授業をサボることも出てきました。
この頃から図書館や本屋さんに行って
本をよく読むようになりました。
気持ちが暗かったのですごい真面目な哲学書とか
心理学とか小説もくら〜い本ばっかり選んで読んでました。
内心では
もっと楽しくなりたい。
楽しめる雰囲気のところに行きたい。
気の合う人たちばっかりとつるんでいたい。
と思っていました。
女子高生向けの華やかな雑誌を見ては
もっと都会に行きたい。
とか思うようになっていました。
違う環境に変わりたい気持ちが
どんどん膨れていきました。
環境さえ変われたら
大学はちゃんと行くし、
勉強する意思もあるし。
最終学歴は一緒やん。
環境を変えるだけ。
勉強はちゃんとするから。
そう親を何度も説得して、
学校を辞めて大阪の進学予備校に行くことにしたのです。
環境を変えて明るい気持ちになれたら、
きっとよくなると思っていました。
一度そうしたい、と思ってしまったら
なかなか昔は曲げることができなかったです。
大阪の予備校では授業を複数受けながら、
年上の浪人生や同年代の現役生と仲良くなれて、
一緒に授業受けたり、時々遊びに行ったり、
年上の恋人もできたりして、
それなりに楽しむことができました。
前まで切望していた国立大学には到底レベルが届かず、
でももうそこまで頑張って上を目指したい
という気持ちもあまりなかったので、
とりあえず都会にある大学ならいいやと思い、
大阪の私立大学に合格して進学することにしました。
大学生、社会人時代も相変わらずコミュニケーションは下手のまま
大学に入学してからも
人とコミュニケーション取るのが苦手で、
複数の女子と集まるのは時には冷や汗が出るくらい
苦手意識を持つ時もありました。
大人しいって思われてるかも・・
つまんないって思われてたらどうしよう・・
集まりが苦手だったので、
だいたい誰かと二人でいることが多かったです。
周りは大学生になれたからと
アルバイトを始める子もかなりいました。
私は毎月少し親にお小遣いをもらいながら、
労働するくらいならお金使わない方が
マシという価値観があり、
アルバイトとか労働というものに関してはかなり消極的でした。
頑張って働くのはカッコ悪いとか思ってる面もありました。
アルバイトで友達作ったり恋愛したりして
謳歌してる子が羨ましく単発でアルバイトをしたりしても、
長時間立ちっぱなしで拘束されることや、
時刻通りの電車に間に合わせて動くことに苦手意識があり、
やっぱりやりたくないという感じでした。
就活にしても、スーツを着ることも嫌だったし、
四角いリクルート鞄を持つことも
誰かに押し付けられているようで嫌々でした。
意欲的になれず大学院に進学しようかな〜と思いながら、
渋々卒業間近に受けた就職先から内定をもらえ、
なんとか社会人をスタートさせたという感じでした。
ストレスの多かったOL時代。周りと意見が合わず悩む。
社会人になってから
何度もしんどい気持ちを味わいました。
今までのような自分が通用するわけもなく、
容赦無く怒られたり、できないことがどんどん出てきたり、
できるまで帰れなかったり、、
学生時代とギャップが大きすぎる・・
厳しい現実に直面する感じだった
学生時代は自分の気持ち優先で生きていたため、
会社の都合とか他人の都合に
強制的に合わせなければならない社会人というものは、
こうもしんどいものなのか、
と思いの外のしんどさにいつまでも慣れずにいました。
通勤に一時間以上かかったり、
決まったメンバーとご飯を食べなければならなかったり、
やりたくないことも絶対やらなければならなかったり、
すべて思い通りにならなくて、
どんどんストレスが溜まっていきました。
その時付き合っていた人も会社勤めでしたが、
私のようにしんどそうなそぶりは見せず、
会社なんてそんなもんだよ、、と
私の愚痴にいつも否定的でした。
友達に言っても
我慢してお給料もらえるのが会社だから、
と言って説得されていました。
この状態で生きていくのしんどくない・・?
って内心思っていましたが、
彼も周りの友人も誰もそんなこと言わないので、
いつもなんで私だけこんなにしんどいんだ??
って思っていました。
我慢して生きていくなんて、しんどすぎる。
なんでみんな平気なんだろう。
不思議でたまりませんでした。
このことで意見が合う人なんていませんでした。
やっぱり昔から人に言われるように
私って変なんだろうな。。
みんなみたいに世間に馴染むことができないんだ。
彼や友達に会ってもなんかふに落ちないことが多いので、
本屋さんに行って本に何かいいこと書いてないか、
探しにいくのが日常になっていました。
完全に会社員に向いてない・・
何回転職しても、モヤモヤが消えない。
どうやったら会社員みたいに
辛い思いをせずにお金を稼げるのか・・
色々考えて駐車場の経営が一番いいのでは?
と思ったりしました。
対人と交渉することもほぼなさそうだし、
メンテナンスも大変じゃなさそう、
不労所得で毎月お金が入りそう、
実際更地を見に行ったこともあります。
でも駅前の数千万円もする土地を見て、
これは長期間かなり頑張らないと無理だな・・
と愕然としました。
カフェの経営を何回か夢見たこともありますが、
もしお客さんが全然こなかったら・・
いつも開店状態で旅行に一生いけないかも・・
一日中働きっぱなしだったら・・
など想像しただけでとても怖くて
夢見るだけで終わっていました。
女性経営者のインタビュー記事を見て、
かっこいいな、楽しそうだな、と思っていましたが、
この人たちみたいなこんなすごいアイデア全然出てこない、
やっぱもともとすごい人たちなんだろうな、、
と思いながら眺めていました。
そんな悩んでいたあるとき見つけた物販の本で
一気に視界が開たのです。
そっか、仕入れて売るということさえできたら
自分一人ででも商売が成り立つのか。
なんでこんな簡単なこと
思いつかなかったんだろう。
初めは利益の取れる商品なんて
本当に見つけることができるんだろうか、
と疑問に思いながらも
毎日のようにリサーチしているうちに
そのうち一個、二個と見つけることが
できるようになりました。
始めのうちは本当に見つからなくて、
毎日パソコンでリサーチを
ひたすら続けていました。
やっと利益の取れる商品を見つけても
出品して果たして誰か本当に
買ってくれるんだろうか、とか
他のライバルの方が評価が多くて慣れてそうだし、
自分のところから
買ってもらえないんじゃないだろうか、とか
不安なことはたくさんありました。
それでも繰り返して試行錯誤を続けたり、
反応をみたりしていくうちに
徐々に売り上げを伸ばすことができました。
どうしたら価値を感じてもらえるのか、
ビジネスについて学びながら実践する
ということを継続していくうちに
安定するようになり、
あまり頑張らなくても
自然と売れるようになっていきました。
コロナ渦にあってもむしろ売り上げは伸びていき、
実店舗を経営している知り合いの方に
すごいねと言われたりもしました。
ビジネスを始める前までは
人に褒められた経験なんてほぼ皆無だったのに
なぜか物販でうまくいくようになると、
すごいとか、教えて欲しいとか
言われるようになったのです。
そのためか自然と自信がつくようになり、
今まで何をしてもうまくできなかったところから
努力したり勉強を重ねることで
理想の未来に近づくことができるんだ
という前向きな考え方をもてるようになったのです。
どんな人でもビジネスを学べば人生を変えることができると思い、情報発信を始めるようになりました
このような過去の自分からは
想像もできなかった経験をしたところから、
今悩んでたり、うまく行っていない人でも
ビジネスで人生変わることができる、
よりよく生きれるという思いで
情報を発信するようになりました。
もちろんすぐに変わることは
できないかもしれません。
今までの価値観や思考などを否定したり、
ビジネスを上達させるための
マインドセットに自分を落としこむ
といったことは時間がかかることでしょう。
本当にネットビジネスで稼げるのかな?なんて
疑心暗鬼になりながら途中で放棄してしまいたくなる
気持ちも襲ってくるかもしれません。
でも変わりたい、という強い気持ちがあるならば、
今この瞬間からでも少しずつでも変えていくことは可能です。
ビジネスの勉強、といっても膨大な時間を費やす必要はなく
1年くらい学べばネットビジネスでは
ある程度の収入を得ることも可能です。
1年本気でやれば収入が見込めるなんて、
株式投資や資格試験などに費やすより
よほど効率がいいと思います。
本業に不安があっても
副収入を得ることで生活も向上します。
そしてビジネスで成果を得たいのであれば
情報に大してある程度資金を投入する必要が出てきます。
たまに情報にお金を払うなんて怪しい、
という方がいらっしゃいますが、
情報に値段がつかないとなると、
価値を感じないため行動できなくなってしまいます。
私は1年半もの間に何度も教材やコンサルを購入したことがありますが、
全て決して安価なものではありませんでした。
でも私の中ではお金よりも情報の価値の方がはるかに高かったので、
自分でこれだ、と思う情報に大しては
よほど自分が困るような金額でない限り
躊躇なく投資するようにしていました。
そのくらいの覚悟があったわけです。
だから現状を変えたいと願っているあなたも、
覚悟を持ってビジネスに取り組んでいただけたら
そのうちきっと成果が出ると信じています。
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